みかんのゴミ捨て場

方向性は台風よりも定まってないです!!

怨嗟の声

私は英語が嫌いだ。憎んでいると言っても過言ではないだろう。ではなぜ私は英語が嫌いなのか。その理由、そして解決策を塾にいってきて頭が疲れているうえ、満員電車の中にいて機嫌が悪い状態で考えてみた。
恐らく自分が英語が嫌いなただ1つの理由は「出来ない」ということだ。出来ないことの授業や宿題をやり続け、さらにその集大成とも言えるテストでの点数も低いとなれば、英語が嫌いにならない方が難しいだろう。
ただしこれを正攻法で解決しようとすると、英語をもっと勉強して、英語ができるようにしなければならない。となるともっと英語ができない自分を見せつけられてしまう。それはさらに英語が嫌いになる悪循環のはじまりである。
普通ならここで解決策を出す頃であるが、私はこの悪口を止めるつもりはない。そもそもなぜ私たちは英語を学ばなければならないのだろうか。私と同じ学生であればそれは受験のためだろう。なぜ受験に使うのか、それは社会人になった時使うからだ。その社会ではグローバル化というのが騒がれている。私はそれこそが英語がさも世界の公用語であるかのように扱われている原因だと考えている。
第一次世界大戦の特需景気によってアメリカは大きく経済的に成長した。そして第二次世界大戦においても、彼国は勝利を収めた。それからソ連が崩壊し冷戦が終わり、 アメリカは世界の警察としての地位を確固たるものとした。これらの事を経て現在アメリカは、グローバル化の名のもとに一見文化の破壊とも言える行為を直接的では無いが行っているのである。
このような事を述べたからと言って、私は決してナショナリズムを推し進め、日本を混乱の渦に叩き込みたいわけではない。
そう、ただ私は英語が勉強したくないだけなのだ。